2021年1月14日(木)

 今日も何とか生き延びました、という一日だった。

 

 ここ1か月半ほど持病というか、もう体質と化してすらいるうつ病自律神経失調症にとくにやられており、布団から全く動けない日などが続いていた。その中では、今日は洗濯やごみ捨てなどの家事もできて一応だが3食食べられており、ほんの少しだけだが散歩もかねて買い物に行くこともでき、さらに一応オンライン授業も1コマ受けることができたので万々歳である。とてもえらい!

 

 そんな感じでこれまでお布団でへばる以外のことができていなかったので、もちろん本なんか全く読めていなかったのだが、今日はたくさん本が読めて嬉しかった。

 

 

まず桜庭一樹『少年になり、本を買うのだ』を読了した。直木賞受賞の『私の男』や『砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない』などの作品で知られる作者の毎日本を読んで、食べて、編集さんたちとおしゃべりする様子を描いた読書日記である。おしゃれな言い方をするとブックエッセイとでもいうのだろうか?そして本当にこの桜庭一樹大先生(『砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない』『少女には向かない職業』などの彼女の小説は私の思春期を救ったのでこう呼ばせていただく)、本当に本を読む。ものすごい勢いで本を読む。「あらすじ」みたいなところにも書かれている通り、希代の乱読家・読書家である。私も一応「趣味は読書です!」などと趣味を聞かれたときにはのたまっているが、彼女に比べたら全然である。この豊富すぎる読書体験が彼女の作品の土壌になっているのだろうか、と月並みなことを考えてしまうのだが、たとえ土壌となっているかどうかは別として、その読書体験を描くこの読書日記が最高に面白いことは確かである。読んだ本に対する感想がまず、いわゆる批評家や書評家のように長ったらしくなく(別に批評家をディスっているわけではなく職掌が違うだけである)簡潔なのだが、ついその本を読んでみたいと思わせてしまう魔力を持っている。そして、あくまで読書「日記」、日常生活の描写も軽快でユーモアあふれており面白い。しかし、ある小説の執筆時のエピソード、執筆時期の日常も書かれているのだが、その自己を溶かし、溶かし、溶かし降ろすようにのめりこむ姿には衝撃を受けた。K島氏はじめ食えない編集の皆様との会話もとても面白い。個人的に、そしてひそかに創元F嬢《薙刀2段》が推しである。この本はページの下部に日記で紹介された本の解説が入っているのだが、そこも面白いのだ。ただあらすじなどが書かれるだけでなく、作者や個性あふれる編集者たちの追記も入っていて、そこがまた味わい深いのである。編集者たちの文芸に対する造詣の深さに嘆息するしかなくなってしまう。おすすめ作品がそこに書かれることもあるのでこちらも見逃せない。

 

へんしん不要 (SERIES3/4 6)

へんしん不要 (SERIES3/4 6)

  • 作者:餅井アンナ
  • 発売日: 2020/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 次に読んだのが餅井アンナ『へんしん不要』。以前から作者のTwitterを追っていたりこの単行本のもととなる連載を読んでいたりしたので、ちょうど鬱々としたときに何とかすがる綱を探そうと手に取った一冊。一日中へばってばかりの私には最適の本としかいうほかなかった。今日も何にもできなくて、日々いろんなゴミやタスクの山を積み上げてしまって、もう無理、となっているときに寄り添ってくれ、ているのかはわからないけど「ちょっとあったかいお茶でも飲みませんか。」と誘ってくれるような本。すぐにつらくなってすぐにダメになってしまう我々ですが、ご自愛しましょう。

 

華氏451度〔新訳版〕

華氏451度〔新訳版〕

 

 

 あとは以前途中まで読んで放置していたので最初から読み直しているところのブラッドベリ華氏451度』。名作ディストピア小説として知られる本書だけれど、まだ本が何度か燃えてはいるが山場までは読めていないので何とも言えない。読んでいて思ったのが、マクレラン(主人公のモンターグとある日出会う謎の少女)と「白」という色の結びつきだ。一方で昇防士たちや炎は黒という色や闇と対置される。この対置に何か意味はあるのか?と思いながら読んでいく。文自体は軽快でサクサクと読めてしまう。すごい。訳の力だろうか。新訳版だし。

 

 

 北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か:不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』も読む。個人的にはウルフの『フラッシュ』の章の読みがあまりに鮮やかで圧倒されてしまいました。自分は本当に文を総体として捉えるというか、本全体を読むことが極端に苦手である。さらにそこから構造的に分析なんて涙が出そうなほど苦手。なのでこの章の「泥棒」と「自由」という観点から読みだされた結末になんて鮮やかな手腕なんだと感動すると同時に、この結末に対する絶望を感じてしまった。そして、『嵐が丘』はエロティックか否か!私も個人的に嵐が丘をまさにエロティックだと思っている勢なのですが、その理由というのはヒースクリフのその苛烈な復讐に一種のSM的というか、凌辱性というか、性的倒錯チックなものを味わっていたからなんです。そしてそのような復讐に陥るヒースクリフ様にエロティックさを感じていたんです。単なる私の性癖の開陳のようですが。なので、そこではなく決して愛を伝え合うことはないけれど繋がっていることはわかっている、というBL愛好家が大好きなポイントからエロティックを感じ取るところには度肝を抜かれました。こういう解釈もあるのか!と。まだ読み途中なので批評の楽しさを今からもどんどん味わっていこうと思う。

 

 

 あとは『ゲンロン戦記』を読んでいる。実はゲンロンも2000年代批評界のこともな~~にも知らないので、とりあえず理解してやるぞという気持ちで食らいついているところ。とりあえず、氏が事務処理の大変さに気づいていただけて本当にうれしい、というところまで読み進めた。

 

 という感じで今日は久しぶりに本をいっぱい読めて、本に対する感情があふれてしまってついたくさん(1000文字くらいで終わらせる予定だった)書いてしまった。明日、今日動きすぎたから、という理由でへばらないように早めに(決して早くはないけど不眠症にとっては早いのだ)寝ます。おやすみなさい。